PL7デイズ。

西ドイツの精霊さん系(または小悪魔系)ドリブラー、ピエール・リトバルスキーについて無秩序に書き散らかす「備忘録」。

祝?公開②:マンシャフトとの遭遇、そしてリティさんの再発見。(ご挨拶に代えて)

改めまして、作者の「ゆきっち。」です。
先月末に罹患した副鼻腔炎の後遺症が意外に厳しく、この作文も書きかけの状態で二週間放置しました。(応援メッセージ下さった方、申し訳ありません! そしてありがとうございます。)今回はリティさんウォッチャーとして人生の大半を過ごしてきた作者の、マンシャフト(西ドイツorドイツ代表チーム)とリティさんとの出会いについてお話します。この後いきなり文体が敬体から常体になりますが、悪しからず。
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確か1987年頃のことだった。同級生(だったはず)のフットボール少年が「オレはマラドーナよりもルンメニゲが好きだ」と「告白」してくれたことがあった。彼が大切にしていた下敷き(ほぼ未使用)にはプロイセンカラー(白黒)のユニホームに身を包んだマンシャフトの面々。「何だこれ、軍隊じゃん。めっちゃ強そう...」。彼らは作者が当時抱いていた「サッカー選手」の「ひ弱」なイメージを一瞬で覆し、以来「強い、デカい、怖い」西ドイツ代表は作者の「ふんわり推し」の対象になった。ピエール・リトバルスキーの存在を認識したのも、ちょうどその頃である。

1993年、そのマンシャフトの一員だったリティさんが来日すると聞いたときは冗談としか思えなかった。何より最も「らしくない」人がドイツ人選手第一号というのは全く意味不明すぎた。(なんか失礼なのは百も承知。)5月にシーズンが始まってからは彼が出ているJリーグの試合は必ずニヤニヤしながら(←怪)チェックしていたのだが、まあ、言い方は悪いが、当時はその程度の力の入れよう、熱の入れようでしかなかった。

「事件」が起きたのは、それから数か月後のことだ。作者はどういうわけか1982年のマンシャフトの試合、それもあろうことかWM準決勝の対フランス戦、「セビリアの死闘」を観戦する機会を得た。いや、「見てしまった」という表現のほうが相応しいかもしれない。それくらいの衝撃だったから。
このチームの気味の悪い強さヒールっぷりが本当に漫画のようで、ここに人生初めての「推しチーム」が爆誕した。そして何故か一番「西ドイツらしくない」選手である、長髪の背番号7の爆走する姿(あのストライド走法!)が脳裏にこびりついて剝がれなくなってしまった。「あれは最早、リアル少年漫画の主人公だ。でなければ妖精さんに違いない...!!」

この選手、面白すぎる。面白すぎて、ずっと見ていたい。やんちゃな冒険心。儚ささえ漂う繊細な技術。静かに相手の前から消える瞬間的スピード。相手の選手がノロマに見えるほどの身軽さ。「君って下手だね!」そんな囁きが聞こえてきそうな小生意気なプレースタイルと、それと真逆の香りがする紳士的な態度。「なんだこの中毒性---。しまった、脳をジャックされた」---と気付いたときには手遅れだったのだと思う。既にベテランと言われる年齢(33歳)のゲームメーカーで、日本では「プロフェッショナルの伝道師」と敬意を集めていたリティさんと、この精霊の如きチビッ子ウインガーが同一人物であるという事実に大混乱を起こしつつ、この人から何となく目が離せなくなって…気付けば30年以上が経過していた。(この出来事を作者は「リティさんの再発見」と呼んでいる。)
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…ということで、以来「推している」実感もあまりないまま彼の動向をゆるゆると追いかけてみたりしていたのですが、今回のブログ公開により、リアルタイムでリティさんやマンシャフトを目撃されていた「超幸せな」諸先輩方をはじめ、フットボールやマンシャフトを愛する方々と楽しさや懐かしさを共有できることを願ってやみません。