1993年(31年前)5月10日午前9時25分。今でもハッキリ覚えているこの時刻が、リティさんの記念すべき日本初上陸の瞬間。
日本では入手不可能であろう(?)チョコレートとバターを詰めた不釣り合いに大きなスーツケースと共に日本の空港に舞い降りたのは、マイスターの国からやってきた世界中のドリブラーたちのアイドルで1990年の世界王者、ピエール・リトバルスキー。熱烈な歓迎を受けて「なんでここの人たちがぼくを知ってるわけ…?」と端から大困惑だった彼の絶妙な笑顔が懐かしい。(勿論彼の持ち込んだ「貴重品」たちは温暖な東アジアの5月の気温によって溶解…)
今日はそんな記念すべき日なのだが、それとは全く関係なく「お宝」本の紹介をしたいと思います。(→画像参照)303頁のボリューム、全編ドイツ語。
出版は今から30年前の1994年、当時34歳のリティさんがご自身のフットボール人生を綴った自叙伝的な作品。表紙の写真は栄光の1990年ユニ姿。眉間に皺を寄せて何か言いたげな表情の我らがPL7...。デザインした人よ、なんでこの写真をチョイスしたかね。もっと可愛い(?)写真もあったでしょうよ、一応アイドルなんだから。
この本、実は日本語版もあって、作者も30年前に読んでいたりする。その記憶を頼りにして読めば全文ドイツ語でも何となく何の話か程度のことは分からなくもないかな…。日本語版のほうも本棚の奥に格納されていると思うけど、何となく怖くて引っ張り出してくる気になれない。
ドイツ語版を入手したことで、日本語版を読んだ当時気になっていたベルリン訛りで喋る部分の原文の姿が明らかになったのは個人的に嬉しい限りだった。たとえばリーガデビュー戦で18歳のリティさんの髪を掴んで「おい坊や」と脅かしてきたノイエスさんにやり返したときのセリフ。>>Denkste, so eener wie du macht mir angst?<< (オレがテメエみてえなのにビビるとでも?)Denkst du,…?ではなくDenkste,…?というスラングになってたり、einerが訛ってeenerになってたり等々、なかなか興味深し。他にもwas istがwat isになってるようなところもあったと思う。こういうの、文法に詳しい人や方言に詳しい人が読んだら、もっとずっと面白いんでしょうよ…。
この本は優しく仄暗く、まるで御伽噺のようだ、というのが作者が読後に抱いたファーストインプレッション。東西冷戦下のベルリンで生まれた小さな少年が辿った数奇で壮大な旅の軌跡が、内省的な文章で綴られている。陽気で人懐こいPL7が普段殆ど表に出さない部分、そんなものに耐えられるというあなた、是非読んでみてくださいな。普段彼がユーモア混じりの言葉を選ぶのに使っている知性が別のカタチで発揮されているのが垣間見えるはず。同時に彼の明るさを支えているものこそが知性だということも。
静謐な筆致、余計な装飾のない文体。露悪趣味も傲慢さも入る隙のない純粋な率直さが、この本の最も特徴的な部分であり「凄み」でもある。明るいランプにシェードを掛けると闇に沈んでいた外の景色の青い輪郭が浮き上がるように、「アイドル」の光の部分をトーンダウンさせることで今まで見えなかったものが見えてくる。それはファンにとっては一種魅力的ではあるけれど、その分全体的にダークな作品といえるかも。筆者が苦悩や悲哀と向き合う勇気を持ったことで、読者もまた痛みを強いられる。彼は一緒に暗がりの向こうを見つめてくれる読者がいることに賭けたのだ、とも言える。その勇気に最大限の敬意を払いたい。
読んでいて心がチクリと痛んだ箇所を、ビミョーすぎる語学力を誇る作者の「ざっくり翻訳」でサンプル的にご紹介。(ドイツ語の文法はほぼ解りません。そして辞書に頼り切っています…)
「最初のシーズン、人々はぼくのことを「O脚のドリブル王」と呼んだ。そこには2つの感情が曖昧に溶け合っていた。称賛と、もう一つはぼくの曲がった脚への静かな嘲笑だ。しかしそれは必ずしも湾曲したぼくの骨格だけを意味するものではない。名高いフットボール脚(O脚気味か、それ以上)になってしまっている選手は他にもいたわけだから。驚嘆にはいつも、何らかの留保の感情が纏わりつく。フットボール人生において、このことはずっとぼくを悩ませてきた。今でもぼくは、その理由について思いを巡らす。ベッケンバウアーやマテウスみたいな誰もが憧れるスターになるには、ぼくのプレーに何か不足があったのだろうか? そうではなくて、然るべき状況下においては必要な、生意気で傲慢な態度をぼくが取り損ねていたということだろうか? 基本的にはフレンドリーさで自分をプッシュしてきたし、限界まで優しくて良い子のぼくでいられたけれど、それがあまりにも長く続いたときには突然わけもなく発作的な怒りに駆られたことも一度や二度ではなかった。」(65頁)
この「暗さ」ですよ。彼の痛みと虚無感に耐えられない人は読んではいけない本だと思う。翻訳にあたり、彼の物静かで思慮深く記憶力に優れた一面を引き立てることを目指したが、それもまたフットボール界のアイドルの「影」の部分ともいえる。光が当たれば影ができる。誠実で真っ直ぐな人柄はときにナイーブさという欠点にもなり得る。その欠点でさえも涙の雫のように光らせる告白は、その過程において身体が軋むような痛みを伴うものだったのかも。改めて、その勇敢さに敬意を。(もっと語りたくなってきたので、次回以降もこの話題。因みに人々の「留保の感情」の理由、それについても機会を改めて書きたい。)